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 〜追悼 ヨシダヨシエ〜  美術評論家・詩人 ヨシダヨシエ氏の追悼特集です。


 1950年代初めに「原爆の図」を携えて全国を巡回した美術評論家のヨシダ・ヨシエさんが2016年1月4日午前0時14分、脳梗塞のため
埼玉県鶴ケ島市の病院で死去されました。
城景都と親交が深く、画集出版の折には監修、取材等を担当していただき、素晴らしい評論、評価をいただいておりました。
当ウェブサイトではヨシダヨシエさんのご冥福をお祈りしつつ、追悼特集として過去に城景都に寄せていただいた評論を御紹介いたします。


ヨシダヨシエ (美術評論家・詩人)

1929年生まれ。福島市出身。50年代初頭、「原爆の図」を背負って日本各地で巡回展。60年代実験的空間MAC・Jを主宰、ハプニングやミニコ
ミ活動を積極的に紹介。71年「人間と大地のまつり」を組織。74年〜75年サンパウロ、ブエノスアイレスの「コスモス展」「アルチ・カタストロフィカ・ド・オ
リエンテ展」を組織。76年サンフランシスコで「ジャパン・ナウ展」に協力。シカゴのシュルレアリスト、フランクリン・ロズモント主宰の「驚くべき自由・欲望
の不寝番」展(ギャラリー・ブラック・スワン)に参加。79年ベイルート訪問美術使節団に加わる。83年パリ「アジアのなかの日本展」(エスパース・ジャ
ポン他)に協力。美術評論家連盟国際会員。アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議会員。
主な著書に『異端の画家たち』(求龍堂)、『丸木位里・俊の時空』(青木書店)、『修辞と飛翔』(北宋社)『ヨシダ・ヨシエ全仕事』(芸術書院)など
がある。『エロスと創造のあいだ 22人の美術家との対話』(展転社)では城景都も登場、紹介されている。




『原風景に向かって走る「不良少年」』 ヨシダヨシエ (画集 「城景都 花の形而上学」 美術出版社)

澁澤龍彦が鬼籍に入って、疾くも十年になります。亡くなるわずか前に、本書『花の形而上学』が刊行されて、緒言をいただけたことは、
監修者としてのせめてもの喜びでした。澁澤龍彦の豊麗にして窈深な知の世界は、今後ますます読み込まれ、追慕する人は跡を絶たぬはずです。
澁澤は城景都の作品に惹かれる理由のひとつとして、「その陶器の貫乳に似た罅割れの表現」をまず挙げました。貫乳とは陶磁器の釉面に
あらわれた罅の微妙微細な景色のことを指します。もっとも、そのこまやかな描線については他の評者も触れています。ただ、澁澤の一文の異なるのは
これは葉脈ですと城景都がためらいなく答えたことにたいして、即座にこれは女性の肉体が植物のように有機的な自然としてとらえられているのだと、
推察したことにわたしは注目します。そしてそれが、観念や理論ではなく、手の無心な運動がイメージの増殖を促し、空間恐怖といいうるほどの線の
錯綜に覆われてゆくのだ、とつづいて言っています。空間恐怖という心理的な用語は、自分のまえにひろがる空白にたいして、それを克服するために
隙間なく埋めつくそうとする心理作用で、装飾の起源の説明に使われたりしています。古くはケルトの過剰な装飾文様から、植物的モティーフの
アール・ヌーヴォーまで、多くの例がみられます。城景都の場合も、意識の深層の原風景や体験から紡ぎだされてくる心理的過程が、文字通り
植物の成長過程という具体的イメージとかさなりあって、蔓を伸ばし、葉をひろげ、空間を埋め尽くしていく想像力の性格を持っています。
もっとも澁澤の指摘には、わたし以上にかれへの好みへのこだわりが前提となっていることは拒めません。澁澤博物学の特徴は、諸神混淆的な
アラベスクの様相があり、分類学者たちの截然とした系統図からはみだした異形への
過剰な趣味があるといったようなことを英文学の高山宏は述べています。異形への関心
はわたしにもかなりあるようで、それはモナド(宇宙を形造る分割できない単子といったもの)的単位によって合成された予定調和に対する不信、言い換えれば分類学的整理棚への嫌悪を媒介にして、わたしという存在をとりかこんでいる世界への抗議と恐怖の
複合無意識的な自己表現でじゃないか、というふうに考えてます。そしてそれは、かなり
濃縮された自己存在の感度のようなものを必要とするんじゃないか、と。
たとえば城景都の70年代の、アクリル絵具を使った一連の作品などには、女の肌を埋めつくす<葉脈>というよりも、はげしい原色の饗宴と、鋭角的なかたちと葡萄状的形体の増殖溶融をみせる流動体などの異質空間がひしめく、相剋が目を奪います。いや相剋ともみえますが、一方では奇妙に生命的な暴力の中で溶融するマグマのようにおもえないこともありません。城景都はかつて、わたしとの対談で、僕は赤い色につよい恐怖感を持っている、と語ったことがあります。赤い色をそれでも使うのは、恐怖感のうら返しだろうか、と。しかしそれは、うら返しというよりも、怒りと恐怖のコムプレックスというべきではないでしょうか。そこに城景都のエロスの残酷な表現がみえ隠れしているようにおもえます。
70年代なかばの景都の想像世界では、アダルト雑誌の写真から着想引用された、ネイキッドネス(むきだしにされた)女性の姿態の周囲を荊棘上の、牙上の、刃もの状の、あるいは海星のような棘皮生物的な、するどく攻撃的な形態が空間を刺し、それらにまとわりつくように、花弁状、蔓草状、胞子状、細胞状の有機的イメージの触手がなだめ、
さらにその表層を景都の恐怖の対象であるはずの赤い血の波が打寄せ、原色のマーブリングがゆれかえるといった複雑な密度が空間を埋めています。しかも見逃せないのは、
このマグマ状のカオスの冥い穴のように、獄舎の石塀や鉄格子や地下牢につづく階段と
いったイメージの断片が、この空間を一挙に迷宮化しています。そして執拗にも、この迷宮に閉じ込められたミノタウロスさながら、牙を剥きだし、醜くデフォルメされたセルフ・ポートレートが挿入されていたりします。存在をとりかこむ世界への怒りと恐怖のコムプレックスの作用としてのサディコ・マゾヒズムが、死に接近するエロスとして「絵画的発情」をみせ、

「サフランの道」
画集 「城景都 花の形而上学(増補版)」
1996年刊行 美術出版社
城景都のみごとな訴求力として表出されてくる。そのような矛盾にみちた空間です。それは、当時のなまなましい生活体験や感情がもたらしたものでしょうが、周囲の人々に衝撃を与えました。それは抱えこんだ現実のなかで、生き抜こうとしている内在的な力の表示となりえていますが、その荒涼たる
風景のなかに、官能的な姿態をして、こちらに視線を向けたり、挑発的なしぐさをしてみせる女たちの、なんと望郷的で静穏なことでしょうか。その幻影めく聖女たちによって、嵐は凪ぎ、世界は均衡を奪いかえすのです。そして、主として80年代以降の、いわゆる<貫乳の肌>を持つ女たちや、鉛筆で描かれたゆたかな植物相に包まれて、みずからも植物の系統図のなかに溶けこんでゆく女たちは、このはげしい嵐の去ったのちに、しずかな気配で育まれていったようにみえます。諸神混淆的なアラベスクとして、分類学からはみだした異形のエコシステムを形成しえゆくのです。わたしが、城景都の<年代記>の最後に、ギリシア神話のアルカディアの河神の娘ダフネが、アポロンの愛の手を逃がれて、月桂樹に化身した話にたとえたのも、いま述べたようなこととつながっています。そして差別を受けながら、身体を投げ出すように闘って生きてきた城景都に、徐々に平穏が訪れてくるのに比例するように、
画面の女たちはフローラにかこまれ、ダフネのように変身してゆくのです。その変身のさなかにすでにフローラの系統樹のなかにいる女たちのからだには、葉脈がひろがりはじめる。そしてつぎつぎとメタモルフォシスをくりかえしながら、城景都の世界を包み、繁茂してゆくのです。1970年代末の、たとえば「白夜(一角獣)」と題された作品から、景都自身のことばによれば「やどり木」といわれる連作、最近作では「禁断の夢」などはすべてこの系統樹ともいうべき、あたらしい進化論、否、メタモルフォシスとして、位置づけられています。いや、こうしたシリーズというよりも城景都の世界の本質といってもいいような気がします。事実、最近のシルクスクリーンの作品では、この系統の入りまじった変身譚を、みずから「美学」と名づけたりもしています。そしてそれは景都が、幼少年期から育んできた自然と、自分のなかに体験的に織り込まれてきた原風景の拡張といえないことはありません。ところで、メタモルフォシスとは、本来不可能性のなかの夢、あるいは願望です。独立した生命体とは、細胞膜の張りめぐらされた「国境」のなかの容器内に成立して、DNA配列に組み込まれて自己複製をして、種の保存につながってゆきます。すくなくとも原則的にはそうです。そしてイメージとしては共時的にみえても、種の「国境」を超えて、べつの姿になったとき、過去形である前身は、あたらしい生命体の媒介として物質化する。そして、あたらしくなった生命体のなかに、未来型の願望があり、過去形の世界もそのなかで共生したいというような城景都の想像力は、わたしには一種の楽園願望、あるいは南方憧憬といったファンタジーのなかにあるのではないかと、ひそかに考えるのです。たとえば、「やどり木」といったファンタジーは、城景都にとって卑屈な寄生的イメージとしてではなく、「国境」の異なる生命体の共生の願望だとおもわれます。それは都市型の法則を破ったかぎりない繁茂であり、あらゆる生命・形態の乱交であり、陽光の下でのかがやく迷宮であり、恐怖の色彩がそのまま歓喜につながるような原色の饗宴であり、ジャングルのような共生の密度であり、透明な空間によって微細な生命の表情を見透しうる、つまり「葉脈」の拡張であり、海底のできごとでありながら波の音のなかで交わりあうエロスのイマジネーションとして、城景都の手の運動を誘発している。わたしはそのようにおもいます。ウィーン幻想派の画家たちの影響も受けたかもしれませんが、城景都には、南国へ行かなかったけれども、連日のようにパリの植物園へ通って、一枚々々の熱帯の葉にまで想いを寄せて描写したアンリ・ルソーや、ヨーロッパを捨てたタヒチのゴーギャン、あるいはバリ島の神話世界に埋没したウォルター・シュピース、あるいは奄美大島で孤高を保った田村一村、そのような「追放された魂」を抱いて、憑かれたように熱帯のファンタジーに住んだ画家たちは、意外に身近なところにいるにちがいないと考えています。それは暗いパリのカフェを彷徨した「呪われた詩人」たちに因んで、「呪われた画家」たちとでもいいましょうか。そして、その南方志向の体系のなかに、生命の始源をつねに想う想像力のひとつのかたちをおぼろげながら探ってみたいと考えます。亡くなった三木成夫の『南と北の生物学』によれば、人間という都市には内臓系という初源的な地区と、頭脳的に整備された体壁系があり、「宇宙の一部を切り取って体内に封じ込めたような」内臓系は、つねに南の風土、生命の始源とむすびつく。それは、無意識のうちに、みずから体内の記憶とおなじように空間をかたちづくろうとする、と言っています。囲繞する世界への怒りと恐怖から、かたちを引きだした呪われた画家・城景都は、それを共生と繁茂と反分類学的なメタモルフォシスの美学によって、自分の原風景を探す旅をつづけています。それをわたしは、「南方憧憬」の想像力と言ってみましたが、そのオリジン(起源)に向って疾走するはげしい感情こそ、エロスだと言換えてもいいようにおもうのです。