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 〜Review〜  各界著名人の皆様からの評論を掲載しております。



1973年 「女の学問 3 (天使の変幻)」
「ポセイドン変幻」 にて装画として使用。
(1975年発、新潮社刊)

「迷宮への祈り」 赤江 瀑 

 藝術の、たとえば海原にしろ、曠野にしろ、また大空にしろ、この無辺なる苦渋の支配する美の
領界に棲むことを許された眷属たちには、かりにその芸術性を全うする腕前に、上下や、高低
や、大小強弱などの差はあったとしても、つまり藝術家としては、並であろうと、また抜きん出た非
凡な腕の持ち主だろうと、ひとしなみにただ一点、これだけは永遠に踏み外すことのできない掟の
ようなものがあると考えてよいだろう。 掟、あるいは、この領界のそれは盟約、とでも言えばよい
か。すなわち、独創性とか、独創力とか呼ばれるものがそれだろう。この領界に棲む者たちの、そ
れはまず身に帯さねばならない唯一絶対の、いわば生存条件のようなものであるにちがいない。
 独創の力を持たずしてここでは生きて行けないし、従って目下、ここで棲息圏を得ている者たち
には、大なり小なり、その力は備わっているということになる筈だ。そして、いつの場合も問題なの
は、この独創性、独創力という厄介なしろもののことである。藝術という名の領界に、常に無尽蔵
な苦渋の境涯を与えつづける張本は、ひとえにこの独創という掟、独創という盟約であるにちがい
ないからだ。余人にない藝術的境地の造形、それをめざさねばならない人間たちにとって、余人に
ない独擅の力を揮い、しかもそれはこの領域に生存する限り、永劫、永遠に苦渋の様相を帯び
るのは、ごく自然なことがらである。価値ある美は、本質的に、価値ある深い苦渋の手によってこ
そ、造形されるのであろう。そういう意味で、創造とは、独創とは、藝術家の免れがたい業病のよ
うなものだ。私は城景都氏を個人的にはよく知らない。もうずいぶん以前のことだが、新潮社から
出た私の小説の単行本に、城氏の作品の一部をカバーや表紙の装画などに使わせてもらったこ
とがある。編集者が見つけてきた人なので、私はまるで彼を知らなかったが、当時『藝術新潮』で
日本の細密画の新進気鋭の一人としてとりあげられていて、その作品世界が私の小説に見合う
という編集者の判断であったのだろう。そんな事があって間もなく、銀座の青木画廊さんから彼の
個展になにか言葉をもらえないかと依頼され、城景都氏本人が出展作品の幾点かを抱えて、と
つぜん山口縣の私の家までやってきた。サイケデリックな、頭のくらくらするような作品だった。私の
本の意匠となった原画にも、このときはじめて対面した。私が城景都氏に会ったのは、この日のわ
ずか二時間かそこらの短い時間の中だけだが、作品にも人にも、一風独特な常ならぬ印象を持
った。痩せぎすの細身の躰に肩から胸まで垂れた長い髪を持つ若者は、その様子や風貌に野生
のけものめいた感じがあって、人間の気配としては、ある種の動物質のしなやかさや、忍びやかな
鋭さのようなものを感じさせた。その折り見た作品の要諦は、悲しみだと、私は思った。画上に躍
る鎮めがたい精神の激昂ぶりが、たいへん蠱惑的で、それが多様な悲しみの景観を深めて行く
迷路を、出口無しに、ふんだんに、晦冥に、持ち合わせている、これに越したことはない。私は、
城景都氏の表現術が将来成熟期を迎える日のことをその時空想し、しばしその空想を楽しん
だ。藝術の不幸や悲しみの燦然たる世界が、たぶんその折りには、彼の作品上に出現するだろう
と、思ったのだ。(際限もない極細密の絵筆が囁きかわすい夥しい私語が、いつのまにか次第に
巨大なうねりをおびて、とつぜん氾濫しはじめるときの絢爛たる楽音や、饒舌の多彩さは、企み深
く、圧倒的である)と、昔青木画廊での個展の折、私が讃辞を呈したのも、城景都氏の表現域
には悲しみの血脈があると思ったからである。どんな悲しみかは、知らない。知らなくてよいのであ
る。美の悲しみや不幸にのみ芽生える、光輝ある凶暴な思索の獄舎とでも、呼べば呼べるであ
ろう。藝術が、苦渋の支配する美の領界と考えるならば、美の悲しみや不幸に関わる境地が城
景都氏に存在することは、喜ばしい慶事だと私は思う。一層、この牢獄の、獄舎の境地が、深ま
り錯綜して、絢爛たる大迷宮へと変貌を遂げる日を、祈りたいものである。



「城 景都あるいはトランプの城」 澁澤龍彦 

だんだん馬齢を重ねてくるとともに、万事に好みがうるさくなってきて、いくら辞を低くして頼まれても、少しでも自分の好みにはずれた画家については、もう何も書こうという気がおこらない。めんどくさくて、ただ鬱陶しい気分になるばかりなのだ。そのかわり、あるとき、ある瞬間、ゆくりなくも自分の心の琴線にふれた画家については、どうしても書いてやろうという気分になる。勝手なものだ。しかし勝手に書く以外に、何をどう書いたらいいというのか。 城景都の作品を初めて見たのはいつのことだったか、もう今ではよく覚えてないが、その陶器の表面にあらわれた貫乳のような、独特な網の目にびっしり埋め尽くされた画面に浮かび上がる女の幻影を目にしたとき、「あ、この人のことなら書いてもいいな」と私は思ったものだ。あるパーティーの席でたまたま美術出版社の宮沢壯可佳氏に会ったので、私はその気持ちを宮澤氏に伝えた。今から数年前のことである。宮澤氏はそれをよく覚えていてくれて、このたびの画集(花の形而上学)のためにとくに私の執筆を求めたのである。 こういう縁で結ばれた画家との関係を、私は別して喜ぶものだ。なぜなら、私は結局のところ、その画家について自発的に書こうという気になったに等しいからだ。 前置きはこのくらいにして、次に城景都の作品のことにふれよう。 先にも述べたように、城景都の銅版画の何よりの特色というべきは、その陶器の貫乳に似た罅割れの表現にあるが、私はこれが決して恣意的なものではなく、いわば画家の幼児体験に根ざした必然的なものだということを聞き知って、ある種の感銘を覚えたことを報告しておきたい。いったい、この罅割れは何からヒントを得たものか。私の質問に答えて、城景都はほぼ次のように述べたのである。すなわち、自分は幼い頃から植物などの細密描写をすることが大好きだった。罅割れのモデルは、じつは葉脈なんです、と。何のためらうところもなく、あっけらかんと答えた表情は晴れ晴れとしていた。 なるほど、そういえばルドンも、植物の世界に親しむことから表現の端緒をつかんだのであり、植物のモティーフはルドンの銅版画の中に、いくつとなく発見することができるのである。城景都の絵にも、似たようなものを私は感じる。とりわけ「女の学問」シリーズに含まれる油彩画の何点かには、たけだけしい熱帯植物の様な蔓草がうねうねと伸びて、その芽や花や果実が、女の肉体と同化しているような幻想がみられる。いわば女も植物のように、生長し開花する有機的な自然として画家の目にとらえられているのだろうと私は思った。 

1978年 「白夜の哲学」(部分) 
間違えてはいけないのは、城景都が観念や理論から出発する画家ではなく、あくまで己の手の運動から出発する画家だということだろう。子供が無心に線を引くように、彼は画面に手の運動の跡を刻みつけることを純粋に楽しんでいるかのようだ。イメージはみるみる増殖し、ディテールがディテールを生んで、画面はやがて空間恐怖といいうるほど、とめどもない線の錯綜に覆い尽くされてしまう。 罅割れの手法も、この空間恐怖の一つのあらわれと見れば見られないことはなく、細かな線の一本一本を丹念に刻んでいるとき、いかに彼は子供の様な浄福に侵されていることか、と私は想像せずにはいられない。うらやましいようなものだ。 私が城景都の絵に否応なく惹きつけられるのも、つまりはそのためなのである。芸術家としての成熟を無意識に拒否して、彼は永遠の幼児性のなかで気ままに遊んでいる。いや、そもそも彼の頭の中には、芸術家として成熟しようなどという、そんなみみっちい殊勝な考えは一瞬たりとも思い浮かんだことがなかったにちがいない。デッサンが多少は狂っていようとも、構図にいくらか無理があろうとも、そういうことには城景都の絵の魅力は一向に左右されないのだ。絵は一つの快楽である。それでいいではないか。形而上学なんぞ糞くらえ。城景都の絵は屈託なく、そう叫んでいるようにみえる。 しかし、それは必ずしも城景都の絵に形而上学がないということではない。私は「女の学問」というシリーズの題の卓抜さに、一驚したものだが、こんなしゃれた題(なにやら十八世紀風、サド風な感じがするではないか)をつけることができるほど頭のいい人の絵に、どうしてメタフィジックがないわけがあろうか。ただ、それは絵の背後で堰きとめられていて、あからさまに表面には浮かび上がってこないのだ。そこに覆いがたい欠点を見る人もいようが、私はむしろ、そこにこそ城景都の絵のマニエリスティックな好ましさを感じる。上品さを感じるといってもよい。
 銅版画でエロティックな女を描く画家は現代日本に掃いて捨てるほどいるだろうが、城景都のように、そこに持って生まれた品の良さを漂わせている画家たるや、おそらく九牛の一毛にもあたるまい。 職人的でアカデミックでありながら、自由に生きることによって身につけたかと思われる知性のひらめきが、その繊細な線の運動につねに随伴している様に見えるのも、私がこの画家の絵に惹かれる大きな理由の一つである。 表現主義風の重苦しさや曖昧さがなく、本質的に線の画家らしく、すっきりと明るい快楽主義の方向をめざしている点も、私の好みにぴったり合う点だ。城景都のエロティシズムについては、私はあえて何も語らなかった。わざわざ語るまでもあるまいと思ったからである。もっとも、それを抜きにしては、今まで私が述べてきたことも、すべてその基盤を失って、トランプの城のようにばらばらと崩れてしまうことになりかねないだろう。


「城 景都 鉛筆画概説」 鈴木秀男 

 写真の様に描いた鉛筆画をよく見掛ける。対象や作家本人の内面とは無関係な「見たまん
ま」のものが大半で、中には、気恥ずかしさからか、薄っぺらなひねりを加えたものまである。眼
に見えるものを描けば写真に勝てることは決してない。そこにあるのはイマジネーションの抜け殻
だ。 下絵を描いてから画面全体を鉛筆で塗りつぶし、その後、消しゴムで、途方もない時間
を費やして少しずつ消しながら作り上げていく作家もいる。しかし、労力と芸術的評価は比例
するわけではないのも事実だ。 平滑なケント紙に、硬度巾の狭い数種の鉛筆を筆圧の強弱
で濃淡を表現する手法は、鉛筆の芯が黒鉛であるため紙の表面に付着するだけで内部まで
に浸透しない。そのため、時間の経過と共に褪色してしまう。そこで、フィキサチーフ・スプレーで
コーティングすることで、褪色を防ぐこともある程度可能だが、その場合、あとから消しゴムで消
して修正することも、描き加えることも出来ない。 城景都の場合、70年代に鉛筆画作品を
発表し始めた当初から6B〜9H、17種の鉛筆を駆使して平滑なケント紙に描いてきた。数種
の鉛筆の筆圧で濃淡を表現すると褪色を招くため、手間隙をいとわず徹底して行ってきた。そ
れは恐らく「絵画は普遍性を獲得すべしもの」との想いがあったからだろう。卓越したデッサン力
は天性のもので、消しゴムを使って修正を加えるようなことは一切しない。その証左は、気の遠
くなるような精緻な線描のペン画を見れば容易に想像できる。大まかな構図を考えた上で大
雑把にアウトラインを取るのだが、その後、直ぐに細部を描き込んで行く。描き損じてしまえば、
たちまち失敗作となる筈だからだ。 2000年前後から再び鉛筆画も描くようになった。現在的
には粗めのアルシュ紙を使っている。粗めのため、当然のことながら消しゴムを使えば画面を傷
めてしまう。近作では「消しゴムを使っていない」のを主張するかのように、既発表作品「一角
梟」(鉛筆+ガッシュ 2008年)に3人の裸婦を描き加えた「一角梟 2010」を発表している。
まぁ、ペン画でも同様に随分時間が経過してから加筆したものが『花の形而上学』(美術出版
社刊)の中にもあるのだが…、いずれにしろ、これでもかこれでもかと余白と思われるような部
分までぎっしりと描き込んで独自の世界を創り出している。



2008年〜2010年 「一角梟 2010」


「異能の人 城 景都」 井沢元彦

 芸術家とは既成の破壊者でなければならない。
芸術とは模倣を嫌い、常に独創性を求めるものだからだ。
 ところが、日常生活において独創性を求めることは極めて困難でもある。
なぜなら、日常とは先人の模倣を繰り返すことだからだ。
法律というものも、それに合わせて作られたルールである。
 精神生活においては「模倣を排し独創に徹し」、日常生活においては
「独創を排し模倣に徹する」というアンビバレントな態度が芸術家には求められる。
 これは本来無理な話であって、そういう意味では現代の世の中は真の芸術家が
住みにくい世の中でもある。
 こうした中、城景都氏はよく生きている(笑)。その個性と芸術はまさに賞賛に
値するものだ。
私としては、ゴーギャンのように文明社会を離れた南の島へ行って頂いた方が
良いような気もするのだが、今後もぜひほどほどに社会のルールを守って、
その異能ぶりを発揮することを心から願うものである。

                             2010年 桜の盛りに 

2010年 「版画集 巨樹の摂理より  『語り』」
(販売中 詳しくは
こちらのページをご覧下さい)



2010年〜2011年 「聖作所」 (販売中¥600,000)


「城 景都 『聖作所』」 鈴木秀男

 「聖作所」を初めて見た時、70年代から80年代初頭にかけて、一心不乱に描き続けていた頃の鉛筆画「やどりぎ1」「白夜の哲学」が思い浮かんだ。

 茫漠とした画面一杯に、びっしりと繁茂する植物群、女性の物憂げな表情、恍惚感を拒絶するようなポーズ、仰け反った姿態、日本画を思わせるコイの線描、自虐的な眼や牙等々… それらが渾然一体となって描かれている。当時と異なるのは、鉛筆画では、今まで使ったことのないガッシュを部分的に用いたところだ。じっと微動だもしないエメラルド・グリーンの物思いにふけっているようでもあるカワウは、自己を投影しているのだろうか、さながらギリシャ神話の哲学の象徴であるミネルヴァの梟を彷彿させる。
 ルーペでじっくりと覗き込むと、アウトラインで区切られた対象物には、極小の羽毛や幼児の産毛のような線が無数に描き込んであり、濃淡は鉛筆の硬度と線描の密集の度合いによるが、白眼の部分を含め、余白は一切ない。さぞ途方もない時間を費やしたことだろう。現実に存在する物をそのまま描くわけではないため、幻灯機や写真を使うのは不可能であるのは言うまでもない。
 今更ながら、卓越した精緻な描写力には驚かされる。手許にある細密画とされる他作家の作品と比べれば一目瞭然である。F8号サイズを拡大してみたら、一体どのようなものになるか非常に興味をそそられる。

 強烈なリビドーの絵画化であり、自己抑制的に描くのを拒否している。ここには、観る者なぞ、全く意に介せず、ひたすら自己解放を遂げようとする姿がある。

これぞ類なき城景都の世界である。



「城景都の絵には何かがある」 前田常作 

 城景都の絵には触覚性に満ち満ちている。
 触ってみたくなるような画面を見つめれば見つめる程に、様々な形と色の交合の世界に魅せられる。そこには無数の形態が増殖反応を起こし、不思議な色光を燦然と輝かせるのである。その燦然と輝く華々の一つ一つの機構を、確かに触りたくなるのである。
 城景都の絵には、色の奏でる音色を感応させる何かがある。
 彼の作画の課程では、赤、緑、黄、青等の原色が対比的に配置され、その強烈な色彩の渦が不定形に定着されていることから、恐らく墨流しの方法やデカルコマニー等の表現の方法が選ばれているように思われる。その妙なる色光の墨流しから、あるイメージを発見し、丹念にフォルム化してその流れを捉えるや、執拗に空間のすべてを埋め尽くすのであり、そこには、青い花であったり、眼球であったり、女体であったり、交接する華々であったり、天球であったりまことに次から次へと、不協和音にも似た音色の調べに乗って増殖されて行く。奇妙な音色を奏でながら、細密にして繊細な筆法を持って、人間の聖と俗の地続きの風景を綴るのである。
 城景都の世界はバロックの色と形の世界であり、本能的に迸る色彩は恰も繭から無限に長い糸を紡ぐが如く、新鮮に溢れ続ける。と同時にその色光を点描と片ぼかしの線によって丹念に押さえつつ、そこに得体の知れない複雑にして怪奇な世界を幻現させている。 


1977年 「語り合う花」 
 この色光と尽きることなき形態の増殖反応は、まさに描くことへの執念を徹底的に強めることによって、エクスタシーを求めている状をひしひしと感じさせる。 城景都の絵はエロスの炎を描き続けている。特に「女の学問」シリーズでは、白や緑の織りなす女体に陶器の貫乳に似たフォルムを付与し、それはまた、細密の極みを窮めながら、触覚的にエロスの炎を書き続けるのである。
 城景都のバロックはまたエロスへの賛歌の表現ではなかろうか。
 城景都の履歴はミスティックである。
 絵画を本格的にはじめる前はロックンロールに傾倒し、音楽と絵画を自由に選びつつ、自由気儘に生きて来たのである。
 その城景都の生きざまが作品となっているところがアカデミズムとは無縁なところであり、それがまた、魅せられるところである。
 今日もまた彼は、仄暗い街の喫茶店の一隅で、密室のアトリエで、美と俗の強烈なイメージの華々を咲かせているのであろう。